我が同胞にして戦友に捧ぐ

前パートナーのことは、血の繋がったきょうだいよりも同胞のように思っていて、今後も親族に近い距離感で関わっていけたらと思っている。

 

彼とは長い付き合いで、知り合ったのは9年前、付き合ったのは7年間もの歳月になる。

ざっくり人生の1/3くらいは関わりがあることになる。交際期間は人生の4/1に及ぶ。そんなに長く付き合ったのは人生で初めてのことだ。

それまでは自分が情緒不安定すぎて付き合う相手には毎回1年前後で振られていた。彼とこれだけ長く続いたのは、互いに互いしかいなかったからだった。

趣味の集まりで地方から始めて東京遠征した際にたまたま知り合った。あの会合にどちらか片方でも出ていなければ全く違った人生を歩んでいたであろうことを考えると、偶然が人生に与える影響のデカさにビビる。

知り合った際にツイ垢を交換しており、そこからは深夜のメンヘラツイにふぁぼ(死語)を飛ばし合うなどして親交を深めた。Twitterがなければこうはなっていなかったことを考えると、Twitterが人生に与える影響のデカさにもビビっている。なお現パートナー=婚約者も元々ツイのフォロワーである。私の人生Twitterしかないのかよ。

 

私にとっては、親がしんどいという話を初めて何の否定もなく受け入れて共感して聞いてくれた相手だった。それに、1話したら10伝わるというような感覚も初めてだった。どうやら私と彼は、使用する言語の周波数も思考や感性のパターンも、極めて近かったらしい。こんなに話が通じる相手って世の中に存在するんだ、という衝撃だった。

 

彼とは本当に文字通り病める時も貧しい時も苦楽を共にした。

最初の2年くらいはこちらが地方、彼が東京の遠距離恋愛だった。2ちゃんの遠距離恋愛スレを見るなどして自分を奮い立たせていたのが懐かしい。

その後は彼がこちらに越してきたのだけど、地方で周りに何も無くて誰もいなくてお金もなくて、でも趣味だけは続けたくて無理をして時々東京に行って、という生活を送った。

ボロアパート6畳間に二人で身を寄せ合って暮らしていた。備え付けの10年もののエアコンから出る温風は10cmほどの距離にしか届かず、室温が外気とほぼ変わらないのに電気代が2万近くなる月があった。まともな暖房を追加で買えるような金が貯まることはなかった。

東北の盆地の底冷えする1階の部屋では、冬場は寒すぎて布団から出られない日が続いた。行き過ぎた万年床により引っ越す時には床が腐っていた。

とにかくお金が無くて、野菜なんかは悪くなったものしか食べられず、それを無理矢理調理して食べて、私が無理をして「美味しいね」と言ったら「美味しくないよ!!!」とキレられて、「私だって本当に美味しいとは思ってないよ!!!!」と喧嘩になったこともあった。ドラッグストアのポイントやクーポンを駆使して生活用品を買い、端数を引き出せるゆうちょ銀行が役に立った。今は硬貨の出入金には手数料がかかるようになってしまった。

 

そういう生活の中で二人きりで過ごしていると、二者の間で物凄い強度のエコーチェンバーがかかり思想がめちゃめちゃ先鋭化し、二人で一つのツイ垢を作ってTwitter上で大暴れしていたりした。その頃の私たちは完全に二人で一人の存在で、魂のシャム双生児だと冗談抜きで思っていた。無理に分離しようとするとダメージを伴うので離れられない。でも魂が共鳴しすぎて、一緒にいると双方共にどんどんボロボロになってしまう。そんな状況が7年間続いた。

 

Twitter上で大暴れしていた私たちに対しても疎遠にせず、オフで会った際には二人にラーメンを奢るなど温かい交流を続けてくれていたのが現パートナーである。この人が根気強く双方に関わり続けてくれたおかげで、私は徐々に彼と分離しても強烈な孤独感に苛まれなくなってゆき、彼も私がどこぞの馬骨とくっつくよりはと一定程度納得して私を手放すに至った。それがなければ、今頃心中or無理心中していてもおかしくなかった。

そういういきさつなので、現パートナーも彼を知っているどころの騒ぎではないのが助かっている。彼は私の人格形成にも多大な影響を及ぼしているため、彼抜きに私を語ることは難しいのだ。彼が私を東京に連れ出してくれたし、フェミニズムに目覚めさせたのも彼だ。彼と出会わなければ私は多分、大学をドロップアウトし地方にいるままその辺の封建的な男と結婚して、一生東北から出ない人生を送っていたと思う。

 

もう以前のようなパートナー関係に戻ることはないだろうけど、彼は苦難を共に乗り換えた戦友であり、半絶縁状態だったり親が離婚した後生きてんのか死んでんのかも知れなかったりする血縁のきょうだいよりも、よほど真の同胞である。

現在は、時々連絡をとってたまに会ってお茶する程度の距離感で上手くやれている。あまり近くなりすぎるとまた傷つけ合う可能性があるので、このまま適切な距離を保ちたい。

離れても、彼の幸福を願う気持ちは変わらずこの胸にあり続けている。