子供生むのって怖くね?

子供が欲しい。

これは中学生の時に初めて交際を経験した時から思っていることである。好きな人との子供が欲しい。

好きな人と自分の遺伝子を混ぜた存在なんて、愛おしいに決まっている。子に先立たれた親が狂ってしまうのも頷ける──子供を持つどころか自身も子供である時分に、そんなことを思っていた。

 

ただ、子供は生んだら基本キャンセルできない。今の職場が職場なので、子を置いて行方を晦ますなどの力技でキャンセルする親も目にはするが。

 

障害児であるとか、それに準じた育てることに困難の伴う特性があったら、ということが怖い。

職場では、知的障害や発達障害を持つ子を育てる親から直接話を聞く。

勿論苦労話も多く、障害の特性が虐待を誘因している例も多々見る。そうでなければ、親が本当に上手に子に関わっていて、自分はとてもあんな風にはなれないと思わされる。

 

自分自身、不注意優勢で思考多動のADHDで、もしかしたら定型ではないASDも入っているかもしれない。

母親は今思えばADHDだったし、私と同じように非定型のASDだった可能性もある。まあこれも私と同じくCPTSDの側面の方が強かったのだと思うが、発達障害っぽいところも大いにあった(私も母親も、発達性トラウマ障害だとすれば、発達特性的な面は先天性か後天性かの区別はできないのだが)。

父親はおそらくASD。人の感情の機微に疎く、察してちゃんでメンヘラの母親を受け止められるはずもなく、嫁姑関係を調整する能力は皆無で、結果として家庭は私が生まれる前から崩壊していた。

妹は分かりやすいASDで、しょっちゅう母親と衝突していたし、その余波を私は喰らっていた。私自身今はもう、こちらの心情や状況の文脈を完全無視して正論で論破してくるタイプの妹と関わる気はなく連絡先をブロックしている。

発達障害の遺伝的要因としては役満である。ADHDでもASDでも何が来てもおかしくない。

 

ASDの人全てが、人の心が無いというつもりはない。親友の兄弟もASDなのだが、真っ直ぐで人の好い性格をしているのを知っている。しかしともかくうちの家系のASDは人の心を持たない系であり、母親とそっくりな私とは相性が絶望的に悪いのが分かっているので、子供が妹や父親のようなASDに生まれてきたら……というのが一番怖い。

「妹と相性が合わない」と私に吐露してきた母親を覚えている。配偶者が頼れないからといって、その妹の実の姉である私にそういうことを言うんじゃない。子供にもたれかかるな。大人なんだから、頼りにならない配偶者を選んでしまった尻拭いくらい自分でしてくれ。「"アスペルガー症候群"なんじゃないか」と言って、妹を病院に連れて行っていたこともあった。付き添わされたが、どんな結果だったかは覚えていない。

 

 

そして、そんな家庭で育った私は、とにかく精神的に余裕が無い。気力体力が少なくてキャパが小さいし、それにギスギスした家庭しか知らないので、放っておけばそっちに寄っていってしまうだろう。定型発達の子供すら、まともに育てられるか分からない。

 

でも、子供が欲しい。

はじめは、先述のように、好きな人と自分の遺伝子を混ぜ合わせた存在を生み出したかった。それは今思えば好きな相手と同一化したいという願望の行き着く先であったようで、過ぎた依存であったと思う。

精神的に落ち着いた今はそうは思っていないが、やはり子供は欲しいと思う。どう考えれば、子供に願望を押し付けずに済むのだろうか。

 

ざっくり見聞きした範囲では、「身近な人が子供を持っているのを見ていいなと思ったから」「自身が温かい家庭で育ったから自分もそういう家庭を作りたくて」のような、本当に何も考えていないふわっとした理由か、もしくは「家を継いでほしい」「老後の世話をしてほしい」のような何らかの役割を期待して、という理由ばかりであった。

そういう人たちは、もし自分の願望を果たすことのできない子供が生まれてきたら、どうするのだろう? まさか、捨てるわけではあるまいな。何故、100%自分の子供が五体満足の健常者だと信じ切ることができるのだろう? そうでなかった時のことを一切考えていない風なのが怖すぎる。

 

今のところ聞いて納得できたのは、「子供のいない人生に飽きたので暇つぶしに」「生む機能が備わっているので使ってみたい」の2つだけだ。それだったら、どんな子供が生まれてきても齟齬は生じないだろう。

でも、私はまだそこまで割り切れる境地には達していない。

 

自分の思いの中で、これならまだ適用可能かなと思ったものが一つあって、「パートナーやその家族に会わせたい」というものである。

パートナーは知れば知るほど理想的な家庭育ちで、家族や親族も皆、温かく気さくで、程良い距離感で連帯している。赤の他人である私でも、そのコミュニティに身を置くととても心地良い。願わくは自分の子供にも、この空気の中で育ってほしい。この心地良さを知る人が絶えてしまうのは勿体無い。この碌でもない世界の中で、少しでもこの空気の割合を増やしたい。

それもやっぱり、子供に自身の叶わなかった願望を託しているに過ぎないのかもしれない。それでも、この理由であれば少なくとも、どんな子供が来ても辻褄の合わないことにはならないだろう。

できるかは分からないが、子供を育てる時はこの一族の空気を感じられる距離で育てたい。実務的な支援を得られる可能性というのもあるが、何より私自身が、「この世界も悪いばかりじゃないのかもしれないな」と前向きになれるから。