祝い事から締め出される人たち

結婚式場を見学しているが、まぁしんどい。

自分が人並みの人生を送れてこなかったという事実を折に触れて突き付けられる。

 

数え上げたらキリがないが、たとえばまず、プロフィールムービーや会場の展示に幼少期からの写真を用いるのを前提として話される。私の幼少期〜学生時代の写真は、絶縁した母親が全て持っていってしまったので、事実上散逸している。

特に花嫁にとって結婚式とは、大切に育てられてきた日々を振り返って両親に感謝を伝えるものらしい。私には、両親に大切に育てられてきたという事実はない。

また、式を挙げるカップルの7割が、式に際して親族からの援助を受けているらしい。私は3割側の人間なわけだ。

そもそもご祝儀3万自体、過去の自分には払えなかった金額だ。一番の親友の式だったとしても、ポンと出せたかは正直怪しい。なお期間があれば貯められるという話でもない。収入が少ないだけでなく、3万円貯められるだけの、貯金をするための思考パターンや生活習慣といった資本がないからだ。

「お祝いなんだからそのくらいみんな出してくれると思いますよ」と式場の人に何度か言われた。パートナーからも、「祝い事なんだしそのくらい出してもらってもバチは当たらないと思うよ」と言われた。過去の自分のような人間は、どんなに祝いたい気持ちが強くても、無い袖を振れない。結婚式をするような人たちの間では、そういう人間はこの世にいないことになっている。会場見学を重ねる間にそれを何度も知らしめられる。

 

相場の3万円という金額自体、バブル期の相場のままだという。実態にそぐわない形骸化したしきたりほど、嫌いなものもない。

そもそも自分たちの都合で呼びつけて、時間もお金も使わせるということ自体気が引ける。なお私が呼びたい友人たちのうち、結婚式を挙げるもしくは挙げたという人は一人しかいないので、お互い様は基本的に成立しない。それもあって、ゲストの経済的負担は極力軽くしたい。だから、会費制は譲れない事項のうちの一つである。

しかしブライダル業界はほとんどの場合ご祝儀制を前提としているので、会費制を貫こうとすると、ほぼ確実に自己負担額が大きくなる。先日挙式した友人も、当初は会費制にしようと考えていたが無理だった、これくらい許してくれという気持ちで泣く泣くご祝儀制にしたと言っていたのだが、そういうことかと実感した。

それから、人数合わせの招待ってなんで存在するんだろうと不思議だったが、一人当たりにかかる金額を安くするためだったり、会場を借りるのに最低保証人数が設定されていたりする。そういうことも、見積もりを出してもらうようになって初めて知った。カップル間で人数差があると恥ずかしいとか、人数が少ないと恥ずかしいとか、そういう見栄の問題かと思っていたが、更に実質的な理由が存在していた。

 

へー、みんな3万ポンと出せたり、親から援助受けたりするのが大前提なんだー、と、そういう事象に直面する度、白けた気持ちになる。なんで自分らの祝い事のことのはずなのに、そんな気持ちにさせられなければいけないんだろう。

相談カウンターの人や会場で話をするプランナーには、上記のような思想は隠す他ない。ある種相手のいる業界の悪口である内容も含まれるし、言えるわけがない。人生の一大事となる重要な話をする場のはずなのに、自分の今までの人生やそれによって形成された価値観が、隠すべきものとされてしまう。

 

私が将来的に志しており、この世の不平を正すために絶対必要だと思う仕事を生業にしている先輩がいる。その先輩が、招待された式のご祝儀を払うのがキツいと言う。仮にも福祉業界の末席を汚している身なので、福祉やそれに類するエッセンシャルワーカーの給与水準が低いのは自分もよく知っている。そういう人の生活を犠牲にしてまで挙式に大金を払う意味って、何なんだろう。

 

今の自分は、パートナーに引っ張り上げられる形で、かつてなく充実した生活を送っている。それは単に経済的にということもあるけど、何を大事にして何をやめるかなど、価値観そのものについても、一つ一つ教えてもらいながら、今までよりも所謂上流層に向かっていると感じている。それは事実だろう。

でも、自分の生活水準を引き上げる度、過去の自分を切り捨てる心持ちになる。もう、過去の自分のような生活をしている人たちに寄り添うことはできないんだと思わされる。そういう人たちが、どんな思いで日々を送っているか、自分が一番良く知っているのに。

単に自分にお金をかけていいと思えるだけの自己肯定感があるかないか、という話だけでもないと思う。上流に向かう壁を越える際には、かつての自分の価値観を否定する必要がある。

 

親しい人を集めて美味しいものを食べて小綺麗な空間で和やかに過ごしたいというただそれだけのことが、どうしてこんなに難しいのだろう。

金を出せない人間には、人並みに慶事に携わる資格はないのか。ここでもまた、人並みを望むことは許されないのか。

結婚式くらい、全ての人にとってアクセスしやすいものであってほしい。こんなにも贅沢品であってほしくない。金銭的な面以外にも、男女別に求められるドレスコードなんかもそうだ。他にもいくらでも例は挙げられるだろう。何もかもこの世で一番マジョリティの人間向けに設計されている。

 

会費制ご祝儀制くらいはもう少し主催側でコントロールできるものだと思っていたが、相場がある以上予想よりもどうにもならないようだ。でも、生育歴的な辛さに直面するであろうことはある程度覚悟はしていた。

金銭的な面も思想的な面もクリアした結婚式を無事に挙げられる日は、果たして来るのだろうか。