結婚式のこと/構想

最近は暇な時、自分が結婚式をするならと考えている。

とにかく自分たちの文脈に適ったものにしたいという想いが強い。

※このブログの全ての記事に共通することだが、同じようなことを考えている人に一人じゃないよと伝えたいこともあって私の趣味でネットの海に個人的な考えを放つものであり、考えの異なる人を否定する意図は無いことを初めに書いておく。

 

挙式はしなくていい。

特定の宗教に縁があるわけでもないので、宗教色のある式はしっくりこない。文脈が無いから。

かといって人前式も違う。自分たちの結婚は、誰かに誓うものではなく承認してもらうものでもなく、自分たちで決めたものだから。

結婚証明書にサインするというのは、婚姻届を出すならそれで用は済むのでは?と思っているのでやらない。指輪交換も、婚姻届を出すのに合わせて既に身につけているはずなので改めてやるのは違和感がある。

ここで説明しておくと、私にとって結婚とは「私に対して法的に義務が生じてもいいとまで思ってほしい、伴侶として私と同じだけの覚悟をしてほしい」というものなので、法律婚であることに意味がある。婚姻届を出すことが本質だ。そのため婚姻届という言葉が何度も登場している。

よって、儀式的なことをする挙式は無し。世話になった人たちを呼んで食事会くらいはしたい。そうすると厳密には結婚式とは呼ばないらしい。結婚パーティーと呼ぶのがおそらくしっくりくる。調べてみるとどうも、所謂1.5次会というものに該当するみたいだ。

 

ではそもそも何故そういう催しをしたいのかというと、今まで支えてくれた人たちに「ここまできたよ」というのを見せたいからだ。

それは私の場合は主に友人たちで、私の方は親族として呼ぶのは父親一人になりそうだ。

友人たちには本当に世話になった。中学高校と実家が辛かった時代は勿論だし、大人になってから出会った友人にもたくさん支えられた。友人たちがいなかったら、私は文字通りここまで生き延びられなかった。だから、「あなたたちのおかげでここまでこれたよ、生き延びて、安心して身を任せられる伴侶にも巡り会うことができたよ」という一つの到達点として、改めてお礼を伝えて晴れ姿を見せたい。

それは私の自己満足だけど、私が呼びたいと思っている友人たちは、いつも私の私生活に興味を持って話を聞いてくれている人たちなので、結婚パーティーに呼んでも義務感ではなく真の関心から来てくれるだろう。なので安心して呼ぶことができる。そういう人だけ呼ぶつもりだ。

双方の客を合わせても、人数は20人くらいになる予定だ。そのくらいの人数だったら、全員にテーブルインタビューしてもいいくらいらしい。

親族友人を差し置いて赤の他人である司会者に自分たちの半生を説明されるのは違和感があるので、実際に当時を知っている人たちに紹介してほしい。なので、幼少期〜小学生時代については父親、中学高校時代についてはそれぞれの友人、大人になってからの友人からも一言ずつもらえたら嬉しい。人数からいくと時間的余裕はあるはず。

結婚式に特に文脈のないゲームや出し物をするのはなんか変だと思うので、余興は無し。プロフィール紹介のテーブルスピーチをお願いする以外は、歓談と写真撮影に時間を使いたい。

 

アンチご祝儀制なので、絶対に会費制にする。そこはずっと前から決めていた。自分たちの自己満足のために呼んだゲストに会費以上の金を払わせるのは道理に合わないし、バブル期のままの金額設定もおかしいと思っている。その相場のままのブライダル業界にはお金を落としたくない。

ただ会場は、そういうオペレーションに慣れてないところで滞りなく開催するのは結構難しいみたいなので、結局結婚式場から選ぶことになりそう。でも、極力納得いく価格のところにしたい。

会費をどのくらいにすべきか考えている。ちゃんとしたコース料理を食べてもらいたい気もするが、そうすると1万円超になる。その金額を出すなら普通にレストランに行くのではないか。それだったら着席ビュッフェ形式にして6000円くらいに落として、絶対的な負担を小さくした方が来やすいか。ゲストは何も本気で料理を食べることを目的として来るわけじゃないもんな、会費制なら尚更。料理がちゃんとしてないとガッカリなのはご祝儀制の場合か。

 

演出について調べていると、"新郎は笑いものになってもいい"みたいな価値観が一定数あるようで、それは"男は笑いものになってもいい、女が笑いを取るのははしたない"という双方に対して有害な性役割規範の表れだと思うので嫌だ。自分はパートナーに率先して笑いを取ってほしいとは思わないし、自分もそういう場で笑いを取るつもりはなく、パートナーのことも笑いものにはせず大事にしたい。

 

ケーキ入刀は、別に初めての共同作業とはならないけど、私が抵抗のある類いの意味は含まれていないようだ。「食糧を分かち合う」というのはその日食べるものにも困る時期も長かった私にとっては重要な意味がある。ウェディングケーキのデザインを考えるのも楽しいだろう。どうせならやりたい。

ファーストバイトは例によって「一生食べさせる」「一生ご飯を作る」という意味合いが嫌なのでしない。

ラストバイトも、別に結婚をもって源家族からの自立とするつもりはないので多分しない。

サンクスバイトはどうだろう。お互いの幼馴染にするくらいならいいかもしれない。今まで見守ってきてくれたお礼を込めてということなら。

でもそもそも、人前でケーキを食べさせること自体絵面的に微妙な気がする。自分たちでテーブルを回ってケーキサーブをするだけでいいかな。

 

アンチ家父長制なので、結婚=家からの独立という前提のあることはしたくない。私たちはお互いに源家族から自立して大分経ってから出会っているし。

あと私にとっては親族よりも友人たちの方がよっぽど生きる上で重要だった。だから、親族と友人の扱いに差をつけることはしたくなく、全員一律にお客さんとして迎えたい。よって、双方の親族も友人たちと変わらずゲストの立場で呼びたいと思っている。もてなしは自分たちでやる。自分たち二人が主催するパーティーなので。

 

ウェディングドレスについても考えていた。折角なので着たい気持ちはある。

成人式は出席したけど、奨学金をむしってくるような親と絶縁していた最中だったのでお金がなくて振袖を着れずスーツだった。その心残りもあって、ちゃんと一般的に晴れ着とされるものを着たい。白無垢よりウェディングドレスの方が自分には婚礼衣装として馴染みがあるので、そちらにしたい。

「あなたの色に染まります」という意味合いの白は嫌(むしろパートナーを私色に染めてる部分が多いくらいの関係性だし)。

白色は維持の難しさから元々特別な色であったということらしいので、そっちが先ということならいいことにする。自分が納得することが大事だ。

 

基本的に文脈の無いことはしたくないタチな上にアンチ家父長制なので、結婚式というものについて考えるのはかなり苦労する。でも、自分たちにちゃんと文脈のある結婚式ってなんだろうと考えるのは楽しかった。

これがどのくらい実現するのかは分からないし、心変わりがあってここに書いてあるのとは違うことをするかもしれないけど、ひとまず最近考えていたことをまとめておくこととする。